ブログ・コラム

2022.01.02

ルールに対する考え方

いま、次年度の経営指針を作っています。

私の作るのは大方針等の前半部分を中心ですが、

その中に、行動規範という章があります。

 

「私はこのような考え方や、それに基づいた行動を目指します」

「アーティスティックスのみんなも、この価値観を理解して、行動のよりどころにしてほしい」

というようなイメージです。

 

望ましい行動。

または、その行動を決定するのに、

どのような考えに基づくかを明確にしているのが

行動規範です。

行動規範っていう言葉がいまいちピンとこないのですが、

他に、いいネーミングはありませんかね~

 

その中の1つが

「ルールに対する考え方」です。

内容はこんな感じ。

 


根本的な考え方として、ルールには2つ側面があります。

それは、

・スムーズな業務遂行のための手順や指示(マニュアル)

・困ったことが起きないように行動を禁止・強制するもの(規則)

です。

 

マニュアル的なものとしては、できるだけ明確になっているといいです。

すべてがマニュアル化されるわけではありません。

社会人としてのルールもあるでしょう。

指示という形で示されるルールもあります。

 

できれば、明文化されているほうがいいです。

しかし、明文化には手間がかかり、それはすなわちコストです。

コストに見合う効果があるか、他の業務と比べて優先順位はどちらが高いかにより判断されます。

もっともよいのは、教育するタイミングで、教わる人がマニュアル化することです。

マニュアルは、どうするともっとよい方法になるのか、見直しも必要です。

 

それに対して規則的なものは、私は少なければ少ないほどいいと考えています。

 

規則がなぜできるのか。それは、何か困ったことが起きるからです。

それは、明文化されていないことを逆手に取ること、大きな趣旨に添わず、明文化された内容のすき間を突くような行為だったり、また、義務をないがしろにしながら権利ばかりを最大限広げようとすることにより、全体最適が損なわれるときは、ルールで強制・禁止をする必要が出てきます。

 

規則が多いということは、困ったことが多発している会社だからです。

「共に成長」の理念や、当社の社風、行動規範から考えれば何がいいのか、あるべき姿をイメージすれば多くのことは判断できます。

それでも問題が繰り返す場合に、規則というルールが作られます。

規則は自分たちが招いています。

 

規則というルールで縛らなくてもいい、そんな会社にしていきたいと私はいつも願っています。

 


こんな感じの内容です。

毎年、経営指針書を作成しながら、

文章を読み直し、

自分の言いたいことが分かりやすく書いてあるか、

読んだ人に「そうだよね」と伝わりやすいかを考えながら、

少しずつ文章を練りなおしています。

 

みなさんは、どうお考えになりますか?

どのように感じますか?

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