ブログ・コラム

2022.04.20

正しいことの議論がかみ合わない理由

最近、為末 大さんのFacebookをフォローして読むことが増えた。

為末さんは、3度のオリンピックに出場、男子400メートルハードルの日本記録保持者で、

いまは、執筆活動、会社経営を行っている(HPの情報による)

 

物事のいろんな考え方について、

参考になるし、賛同できることが多い。

 

その中で、

正しいことの議論がかみ合わない理由について

述べているところがあって、

なるほどな~と思ったので、

まとめてみました。

 

為末さんによると、正しさには、

倫理的正しさと実利的な正しさがある。

これを混同すると、議論がかみ合わないという。

 

例えば、

軍備についていえば、

一切放棄することが倫理的には正しいかもしれないが、

実利的には間違えている可能性がある。

 

女性が一人で夜道を歩いて痴漢にあった場合、

痴漢が悪いに決まっている。

しかし、実利を考えたら

「夜道を女性一人で歩かないほうがいい」

という話しになる。

 

正しい選択をするときに、

倫理と実利に分かれて正しさを主張しあうと、

意見が対立し矛盾が起こる。

 

また、ロマンチストは倫理的正しさを、

リアリストは実利的な正しさを優先する傾向があるという。

だから、芸術家と政治家のような人たちは意見が合わず、

二宮尊徳のいう、

「経済なき道徳は寝言であり、道徳なき経済は罪悪である」

になりがち。

 

倫理的、実利的、

どちらの正しさも人工物、

つまり、人が作ったもので

絶対的なものではない。

 

この話しを見て私が思ったのは、

議論をしているときにかみ合わない事は多い。

その時に、自分の考えが倫理的か実利的かを確認する。

もし実利的な正しさを求めているのであれば、

倫理的な正しさで考えるとどうなるかも一緒に考える。

 

それはもしかすると、

議論がかみ合わない、相手の考えなのかもしれない。

 

議論をしていくときに、

賛同する・しないの前に、

受け止める、理解するというレベルはある。

賛同・採択はできないかもしれないが、

受け止め、理解することで

議論は一定の終息を迎えるかもしれない。

 

これは、7つの習慣の

第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」

にも通ずる。

 

倫理的、実利的の2つの正しさがあるということ、

正しさは人工物であり不完全。

 

議論がかみ合わないときは、

これを確認するということを

今後考えていこうと思います。

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