ブログ・コラム

2023.12.31

正しさの議論の先にある危うさ

先日、ある人の話しを

自分の過去と照らし合わせて、いろいろと思いながら聞いていた。

 

それは、正しさの先にある危うさについて。

 

私は、正しさの議論を交わすときは

細心の注意が必要と思っている。

それは、望む結果にならないことが多いから。

私自身できるだけ、正しさの議論自体をしないようにしている。

 

どうしても正しさの議論をするときは、

その議論の矛先は、常に自分に向けるよう心掛けている。

これができている間は大丈夫。

正しさの議論はどんどん展開したらいい。

 

しかし、この姿勢を維持し続けるのは思った以上に難しい。

それができる人はいいだろうが、

私には無理だ。

相手のちょっとした言葉尻や語気に気持ちがザラつく。

そして、正しさの矛先が、自分から相手に向く。

そうなれば、相手の矛先は、こちらに向くだろう。

 

正しさという刃物を持った時、人は攻撃的になる。

表面を取り繕ったところでダメ。

人はそれほど馬鹿じゃない、相手はしっかりとそれを感じ取る。

 

 

私自身、会社経営を初めて30年弱。

前半は、正しさの議論を中心に社内で展開してきた。

その結果は、惨たんたるものだった。

 

正しさの議論。こうあるべき、自分は正しいという主張。

それはつまり、あなたは間違っているという意味を含んでいる。

 

それは、相手の抵抗・対立を生み出すことになる。

自分が圧倒的に強い立場にいる場合はそれもいいだろう。

相手が内心どう思おうが、力関係で従ってくれる。

 

しかし、内心は、反発しているかもしれない。

いつか、相手の間違いを見つけたら責め立ててやろうと心に刻む。

関係は少し悪化し、モチベーションは下がる。

当然、仕事のパフォーマンスも。

それは、リーダーとしては失敗を意味するのではないか。

 

正しさの議論は、議論に負けたらだめだし、

勝ったとしても、関係は悪くなることが多い。

それは、リーダーシップの観点からは、どちらも負けだと思う。

 

この文章だって、危険をはらんでいる。

正しさの議論は必要だという人のことを

否定しかねない。

 

こういう話しは、私はめったにしない。

聞かれた時には話しをすることがある。

または、相手が聞いてくれる心の準備ができていると感じる時も言う場合がある。

 

このままでは、相手が取り返しがつかないことになる!と感じる時は、

相手が受け取ることも受け取らないこともできるように、

できるだけニュートラルに伝える。

相手を否定しない、強制しないよう言葉を選びつつ。

自分にとっては何のメリットもないことではあるが、

その相手が自分にとって大切な人であれば。

リスクのある行動ではあるが。

 

あとは、こうやって、不特定多数に対して「私はそう考える人だ」という発信することもある。

しかし、聞かれもしないのにいうことはあまりしない。

 

正しさの議論を展開しがちな人は、

「でも」「だって」「えとね~」「だから~」という言葉を使うことが多いように思う。

この言葉を言い出したら、自分でも気を付けないとな。

 

正しさの議論をすることがいいとか悪いとか言う気はない。

望む結果にならないから、損なのだからやめたほうがいい。

自分のためにならない。

 

少し関連して別の話しを書く。

昔あるひとが、こんなたとえ話をしてくれた。

親が子供の将来を案じ、勉強をしてほしいと思う。

だから、「勉強しなさい」という。

でも、子供は言うことを聞かず、挙句の果てには

「うるさい!」

というようになった。

なので、もっとくどくどと勉強が必要であることを伝え

繰りかえし強く「勉強しなさい!」というようになった。

でも子供は

「うるせー!くそババア!!」

というようになった。

それは、中身の違う自販機のようなもの。

『勉強しなさい』という自販機のボタンを押す。

『勉強する』というジュースが出てくるかと思ったら

出てきたのは『うるせー!くそババア!!』だった。

何度も何度も『勉強しなさい』というボタンを押すのだが、

そのたびに出てくるのは『うるせー!くそババア!!』

だった。

もうそのボタンは『うるせー!くそババア!!』であり、

他のものが欲しかったら、他のボタンを押すほうがいい。

自販機の中身を入れ間違えた人が悪いとか言ってたって

手元には、『うるせー!くそババア!!』だらけになる。

 

子供に勉強をさせる話ではない。

結果を変えるためには、原因(行動、方法)を変える。

それは、自分起点だということ。

 

話しを戻す。

いくら正しさの議論をしても

相手が望むように動いてくれないのであれば、

押すボタンを変える、つまり別の方法を試してみることが

望む結果を得る可能性が高まるのではないか?

 

この辺は、ものすごく抽象的な話しで

この考え方自体がその通りなのかは、今でも手探りである。

私も言葉に表せているのか不安だ。

ましてや、こんなくどい長文。

ネットでは、まず読まれないだろうな、

読まずにスルーされるんだろうなと思いつつ、

自分の考えをまとめる意味でも、

今年最後の情報発信として書いてみた。

カレンダー

«12月»
     1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       

ブログ内検索

アーカイブ