ブログ・コラム

2021.12.08

ルールと自由の間にあるもの

数日前、ある有名人が

(その人のことを非難・揶揄(やゆ)したいわけじゃないので

 名前は伏せます。)

「前の車に、走りながらウォッシャー液を出されてワイパーやられて、

それも、2回も。。私の車は、そのしぶきを浴びた」

 

「絶対にやっては、イケナイ行為なんだけど」

 

という内容をインスタグラムに投稿した(らしい)ことが

ニュースになっていた。

らしいというのは、私自身が

その投稿を確認できていない(投稿削除した?)

 

 

これに対して、賛否さまざまな意見が寄せられたらしい。

確かに、このような意見は、私も以前に聞いたことがある。

私は気にしないでやっちゃう方でしたが、

今は多少気を付けている。

 

この件がいいのか悪いのか。

「私もいやな思いをした。やるべきではない」

「いや、そんなルールは無い。自由だろう」

さまざまな意見がある。

 

こういうSNS投稿の時に毎回思うこと。

それは、

「ルールと自由の間(はざま)にあるもの」

ということ。

 

マナー

しつけ

気遣い

常識

社風

(日本人としての)文化

などと、さまざまな言葉で語られることが多い。

 

ルールではない。

しかし、自由にやりすぎるとギスギスする。

罰せられるわけじゃないけど、自由にしないほうがいい、

その間(はざま)にあるものに沿った行動をしたほうがいい。

 

しかし、それは、自分に向けるものだということ。

あくまで、自分の行動のよりどころとするものであり、

その事を、他人に強要するようなことではない。

ましてや、非難したり怒ったりしない。

 

そうすべきではないということよりも、

自分のためにならない。

強要・非難している自分の行動に対して、

非難が返ってきたりするから。

 

私は、倫理法人会というところに籍を置いている。

(ほんと、籍を置いているだけで、学んでなくてすいません)

 

そこで、「倫理で人を切る」

という言葉を言われたことがある。

倫理を学んでいると、

その尺度で、自分以外の行動を

いい悪いと評価し始める。

それが進むと、意見、アドバイス、非難、怒りなどが始まる場合がある。

その事を、「倫理で人を切る」という(らしい)

 

その話しを聞いた時に、

「あぁ、私も若いころによくやったなぁ」

「これからは、意識して控えるようにしよう」

と思った。

 

倫理に限らないが、

マナーのような価値観は、

自分の行動を正し、

自身に磨きをかけるためのよりどころとする。

そういうものですね。

 

自分の尺度で相手を評価(多くの場合、悪い評価)をして、

相手の行動を非難したり、怒りをぶつけたりするものではない。

 

とはいえ、相手に伝えたほうがいいこともある。

会社の先輩として、若手を指導するとか、

友人として、これはまずいからとフィードバックする場合は、 

冷静な意見、または提案として、

相手に伝える。

それを取り入れるかどうかは相手の選択にゆだねる。

まぁ、会社の場合は、

会社の方針やブランドイメージ維持のために、

強制すべき時もありますけどね。

でも、原則は、相手の選択が優先。

 

聞き入れてもらえない場合は、

社内のルール化ですね。

私は、ルール化は好きじゃないから、

できるだけ私にルールを作らせないでほしいとは、

社員さんには常々伝えていますが。

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